人間性
雑草
3月定例講・特別講を開催しました
「小なりとも火を軽んずべからず」(雑阿含経)ここで言う「火」は本当の火であると同時に、「三毒」である貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)の煩悩であります。
私にもこの場では言えない数多くの過ちを犯してきました。どう足掻いてもやってしまった過去の過ちは消える事はありません。
ある年老いた老人が今まで自分が起こしてきた行いの報いを恐れてお釈迦様に相談されました。そんな罪深い老人に対してお釈迦様はこんな質問をされました。
「今日はあまりにも暑すぎる」「夕方で遅すぎる」と言って業務を放棄するならば、機会は空しく過ぎ去ってしまう。(長老偈)釈迦様の弟子が説かれた言葉の一説。「でも‥」「だって‥」「どうせ‥」
歯をむき出しにして今にも噛みつきそうな獰猛な犬の前で恐怖を感じるのはその犬がそこに居ているからです。犬がいなくなれば恐怖を感じる事はなくなりますし、あるいは犬が鎖で繋がれていることが分かれば不安は無く
「舟車は用を別にし、文武は才を異にす。其の宜しきを失う時は、労すと雖も益なし。」(高野雑筆集)訳)船と車では使う用途が違います。それと同様に軍事をつかさどる武官と文治をつかさどる文官とは能力も担う役割
「いつも関係が悪くならないかビクビクしているような人は友達ではない。親の胸で安らぐ子のように他の誰にも裂かれることのない。そんな関係性こそが友達である。」(スッタニパター)友達の定義とは「こうすれば友